日本の近代化に教育が大きく貢献してきたことは、諸外国の評価においていわれている。だが明治に至るまでの社会システムの整備が日本の近代化、封建時代から近代国民国家への転換をスムースにできたし、教育においても庶民の教育機関としての寺子屋の普及と世界でも有数の識字率の高さが近代公教育制度の確立に大きく寄与した。日本における近代公教育制度の確立、整備は、明治初期の欧米先進諸国のモデル導入から初代文部大臣、森有礼による日本型システムの形成、そして義務教育の無償化とそれによる就学率の向上を基盤とした義務教育年限の延長、という3つの段階を経ることにより、およそ明治期になされた。その後は「天皇制国家主義」を強化しつつも、教育の目的、価値観の国家による統制を枠組みとすることにより、その枠内における目的〔富国強兵と近代資本主義国家の確立〕の効率的実現を図り、政治的、経済的に均質的な国民形成を実現してきた。だが第二次世界大戦に向けた教育の軍国主義化が進み、教育における極度のイデオロギー統制と合理性の喪失により、教育そのものが破綻するに至る。敗戦後は、アメリ力の指導の下に、教育の民主化に向けた改革がなされ、教育における国民主権、教育権保障が確認され、戦後の社会改革・社会発展に貢献するもの
となった。
|